2009年09月24日

正負の法則 by 美輪明宏

美輪明宏さんの言葉にお気に入りがあります。

「正負の法則です」

以下、
http://fashiontraveleat.blogspot.com/2009/09/blog-post_10.html

からの引用です。


ああ正負の法則 美輪明宏



スピリチュアルが流行る前に出た、美輪さんの本です。
以下まとめました。




・人並みに働いていたのでは、人並みか人並み以下くらいにしかならない。人並み以上になりたければ、人の三倍くらいは働かなければならない。


・月々もらえるものは給料ではなく、我慢料だ。大抵の事には我慢しなくてはならない。


・腹八分。粗食にして、食べるものも我慢する。ガンで死んでいたのは、昔は酒飲みか美食家だけだった。


・人間関係は、すべて腹六分にするべき。浅く付き合えば、互いの長所だけで付き合っていける。嫌な部分はお互い 見ない 見せない で平和に過ごす。


・本当の友人は、一生のうち一人か二人出来るか出来ないかのもの。孤独=惨めではない。


・楽あれば苦あり。何かを得れば何かを失う。何かを失えば何かを得る。



自分なりに理解したり、実感していることもあり、
よく子供たちに話します。

「嫌なこと、面倒なことがあったら、喜んで
受けなさい。」

正負の法則では、感情も関係あると思います。
自分にとってマイナスなことが起こったとき、
「嫌だなあ」とか「ムカツク」とか、ものに当たったりすると
そのマイナスをそこで打ち消してしまいます、
で、チャラになる。
でも、忍んで喜んで受けると
いつの日かプラスになって返ってきます。
ただ、それがいつなのかはわかりません。

でも、ためればためるほどに、よい結果となって返ってくるのです。

だから、子供たちには

「自分にとってマイナスに感じることは喜んで受けると

”幸福”の貯金になる」


と、教えるようにしています。

逆もまたしかりで、、、、

「よいことがあったとき、皆に還元しないと

マイナスになって返ってくる」



たとえば家を新築することなどは、ものすごい「正の力」が必要です。

だから、家を建てる前後で、身内が亡くなったり、
様々な不幸が起こったりします。
自分もそうだったし、離婚の危機だったりもしたのです。(恥ずかし)

自分にはまだ、家を得るだけの正の力が足りなかった、
と反省して、悔い改めるしかありません。


それから、

「道で霊柩車とすれ違ったら”幸運”」

これは、どういう意味に考えるかというと、
霊柩車は「不幸」なので、その周りに「幸福」
というプラスが生まれるからなのだそうです。

ですからそれを「受ける」には
霊柩車に弔いの意を捧げるべきでしょう。

だから、僕などは幸運ばかり続くと、不安になってきます。
幸運の時は慎重になって、できるだけ周りに還元できるように
気をつけるようにします。

世界名作劇場の「愛少女ポリアンナ物語」

のポリアンナのように、

「よかった探し」や「感謝」

の生活、送ってみませんか?



posted by ぷーーさん at 23:21| Comment(3) | TrackBack(0) | 今日の「ひとこと」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月07日

「一期一会」いちごいちえ

今日は

「一期一会」いちごいちえ

の話です。

「一期一会」は意外と新しいほうの言葉かもしれません。

利休の時代(1500年代)
に利休がもてなしのこころを伝える意味で用いたそうです。

意味は、
『あなたとこうして出会っているこの時間は、二度と巡っては来ないたった一度きりのものです。だから、この一瞬を大切に思い、今出来る最高のおもてなしをしましょう。』と言う意味。

これは、たといまたあえるかもしれなくとも、逢ったその瞬間を
一度きりかもしれないと思って、その時に精一杯、尽くしなさい
という意味にとれます。

僕もずっと患者さんを相手にした仕事をしています。

仕事中は自分の中で常に、

「今日この人との出会いも、『一期一会』の出会い」

そう思って接するようにしています。

以前、「オーラの泉」という番組で、
格闘家の須藤元気さんが、仏教の言葉の話をしておられました。

「聞法因縁五百生、同席対面五百生」
もんぽういんねんごひゃくしょう どうせきたいめんごひゃくしょう

これの取り方は2通りあるようですが、
特に同席対面五百生を元気さんは
今その人に出会うまでに、すでに500回も前世で同席していないと
出会えないほど貴重なものなのだ

と解説しておられました。

「一期一会」

そう思うと、とても重いことだなあ、と思わずにいられません。


でも、
僕は「何かの縁」というものを漠然と信じています。
きっと、「今日このとき出会うべくしてあなたに出会った!」
と思わずにはいられないのです。

いろいろな患者さんがいます。
性格的に『あわない』ひとにもたくさん出会いました。

でも、その一つ一つに誠意がこもっていたのなら、
きっと、お互いの心の中に「何か」が残るような気がします。

「何か」

を刻んだ中で、また自分が一歩前に進めたような気がしてならないんです。

だから、井上陽水の歌じゃないけど、

「好きな人、嫌なひと、
  みんな、みんな、
   ありがとう」


やっぱり感謝の言葉で、

結びます。

posted by ぷーーさん at 23:54| Comment(1) | TrackBack(0) | 今日の「ひとこと」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月03日

「先生」と呼ばれることに関して、

不信渦巻く現代においては、

「先生」

と呼ばれるものにはろくなやつはいない!

なんて言われたりもしていますが、、、、、

かく言う私も

「先生」

と呼ばれる職業だったりします。

リハビリの”先生”



「先生」

は、元々「学ぶ人」を「教える」立場にある人を指すそうです。



少し昔の話、

「理学療法士が”先生”と呼ばれる」ことに関して

議論がありました。

新卒でもすぐに「先生」と患者に呼ばれるものだから、
若い奴らは「勘違い」してるって、吠えた人がいたんです。

えー、僕は「先生」で大いに結構と思っています。



ニュアンスが伝わるかわかりませんが、、、

”患者”と”リハビリの指導者”
 という関係にのおいて、その場面では理学療法士は「先生」にならないといけません!

「先生」

と呼ばれるのは、 「自分もそれにふさわしい態度をとれ」

という意味もあるからです。

でも、ほとんどの私の「患者さん」は
人生の先輩でもあります。

だから、こと「人間同士」との関係でみたら、
「患者さん」こそ私の「先生」であったりします。

東洋的な発想だけれど、

”関係”って言うのは相対的であるし、流動的でもあります。
だから立場が逆転することだってあるんです。

たとえば、自分の子供にとっての親の私はたいていは
「先生」であるのだけれども、

こと遊びに関してだったり、特定の分野においては
自分の子供であっても、私の「先生」であったりするわけです。


大事なのは「先生」の時の心構え、

こと、「先生」の立場にある分野においては「生徒」の
模範であり、「生徒」を導いてやらなければなりません。

医者も「先生」と呼ばれますが、
こと体に関する限り患者に対して”先生”であることは間違いないです。

じゃあ、すばらしい先生ってどんなひと?

今まで、テレビなどで「名医」と呼ばれる先生をみてきました。
一般にいるお医者さんと絶対に違うところがあります。


それは、、、

出会った患者さんに対して

「貴方の体は治りますよ」!、または「貴方の体は私が治します!」

と言ってしまうところです。

一般のお医者さんは手術の前に「治りますよ」なんてなかなか言いません。
 むしろ失敗しても恨みっこなしの書類にサインしてほしいなんて言います。(苦笑)


けど、理由はわかります。
むしろ、名医と呼ばれる方々の言ってることの方がおかしいのです。

でも、名医はそれをわかっていて「言う」のです。
自分自身にもプレッシャーをかけて、

「あなた(患者)のために全身全霊を込めて治療に当たります。!」
という”決意”を述べているのだと思います。

2年前、母が脳の奥深くに腫瘍があり摘出することになりました。
その執刀医の先生は「とればきっと大丈夫!」と言って
後遺症もなく見事にそれを摘出してくれたのです。

脳の手術は少しのミスが大変な後遺症を起こす難しい場所です。
患者も、家族も不安で仕方ない中
失敗するかもしれない手術に前向きでなどいられるはずがありません。

執刀医の先生の言葉がどれほど力になったことか、、、

あらためて「先生」
ということばを考えます。

”先生”はその立場にあるときは、相手の親のような立場に立たなければならないのだと思います。
それは単に知っていることを伝えることではなく、

「先生が知っていることを伝承していく」

ときに厳しさも持った「責任重大」な立場であるといえそうです。

相手があっての先生なのです。
相手が納得するまで「教える」のが先生。

一度引き受けたら、結果が出るまでやり通さなければならないのが、
「先生」なのです。

書いてて自分自身が一番恐ろしく思えてきました。
私も「先生」って呼ばれるんだよなー、、、、、


そこの「学校の先生」「お医者さん」そして、「政治家の皆さん」

ちゃんと

「先生」

してますか?

ラベル:先生 医者 政治家
posted by ぷーーさん at 01:41| Comment(2) | TrackBack(0) | 今日の「ひとこと」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月01日

「お互いさま」

今日は、僕がとっても大切にしている「ことば」

「お互いさま」

です。

昔のにっぽんは、コミュニティ(地域)のつながりが
とても密接でした。

訪問先の患者様は皆そんな時代を生きた人たちばかり、

「味噌が切れてしまってとなりにもらいに行った!」
「野菜がいっぱい収穫できたからお裾分けに行ったら、
  いくらをたーんといただいた」

隣の子をあずかってしかってやったなんて当たり前、
団塊世代は子供でいっぱいだったから、当たり前のように
よその子もきていたし、よくしかったこともあった。

これを支えていた信念が、

「お互いさま」

なのだと思います。

苦しいことも「お互いさま」
だから、楽しかったことも「お互いさま」

みんな支え合って「生かされている」ことを実感していたのだと思います。

お金などあまり持っていなかった時代、
太古の「物々交換」の時代から脈々と続く
共生共栄の元がここにあります。

いつの間にか、今の日本では、

虚栄心、自分を背丈以上に見せようとして、
この「お互いさま」
の精神は薄らぎ、
 人々との交流が
「煩わしいもの」
に変化していきます。

うちには子供が4人いて多い方だから、
せっかく知り合いに赤ちゃんが生まれてお祝いを持って行ったのに、
「お返しが大変!」って迷惑がられてしまったり、、、

お返しなんか望んでいない、
ただうれしかったから、生まれた子が喜ぶだろうか?
って悩みながら、夫婦で選んだ「贈り物」

身の丈以上は必要ありません。
富めるときも、貧しいときも、
巡り巡って

「お互いさま」

感謝されたら、精一杯の心を見せましょう!
陰で、あそこのうちは「けちだね」
なんて言われたって、心尽くしていればいいではありませんか?

こころとこころの

”感謝”の会話が


「お互いさま」


という言葉なのではないでしょうか?


ラベル:ことば 地域
posted by ぷーーさん at 21:53| Comment(2) | TrackBack(0) | 今日の「ひとこと」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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