「一期一会」いちごいちえ
の話です。
「一期一会」は意外と新しいほうの言葉かもしれません。
利休の時代(1500年代)
に利休がもてなしのこころを伝える意味で用いたそうです。
意味は、
『あなたとこうして出会っているこの時間は、二度と巡っては来ないたった一度きりのものです。だから、この一瞬を大切に思い、今出来る最高のおもてなしをしましょう。』と言う意味。
これは、たといまたあえるかもしれなくとも、逢ったその瞬間を
一度きりかもしれないと思って、その時に精一杯、尽くしなさい
という意味にとれます。
僕もずっと患者さんを相手にした仕事をしています。
仕事中は自分の中で常に、
「今日この人との出会いも、『一期一会』の出会い」
そう思って接するようにしています。
以前、「オーラの泉」という番組で、
格闘家の須藤元気さんが、仏教の言葉の話をしておられました。
「聞法因縁五百生、同席対面五百生」
もんぽういんねんごひゃくしょう どうせきたいめんごひゃくしょう
これの取り方は2通りあるようですが、
特に同席対面五百生を元気さんは
今その人に出会うまでに、すでに500回も前世で同席していないと
出会えないほど貴重なものなのだ
と解説しておられました。
「一期一会」
そう思うと、とても重いことだなあ、と思わずにいられません。
でも、
僕は「何かの縁」というものを漠然と信じています。
きっと、「今日このとき出会うべくしてあなたに出会った!」
と思わずにはいられないのです。
いろいろな患者さんがいます。
性格的に『あわない』ひとにもたくさん出会いました。
でも、その一つ一つに誠意がこもっていたのなら、
きっと、お互いの心の中に「何か」が残るような気がします。
「何か」
を刻んだ中で、また自分が一歩前に進めたような気がしてならないんです。
だから、井上陽水の歌じゃないけど、
「好きな人、嫌なひと、
みんな、みんな、
ありがとう」
やっぱり感謝の言葉で、
結びます。
私は転勤族の妻なので
転勤のない人に比べ、
「人と出会う機会が多い」かと思います。
8回も引っ越すと
「一期一会」も多く
いい出会いをたくさんしてきました。
がしかし、
「出会わなきゃ良かった」「出会ったことすら後悔する」人とも出会いました。
でも、月日が経つと「無駄な出会いなんてひとつもない」とつくづく感じています。
とても嫌な人にも出会いましたが
その人に出会って、成長もしました。
もちろんその当時は泣いたり怒ったりもしましたが
(大半は社宅関係、職場関係)
今となっては感謝すらしてます。