「君は患者のためではなくセラピスト(術者)自身のためのリハビリをしていないか?」
これは、私も含め多くの人が行っている、「過ち」です。
たしかに、リハビリテーションの発展史の中で、学問的に追究されたのは、
「身体能力をいかに正常に近づけるか」
でした。
でも、現在のPTの考えは変わりつつあります。
それにはもちろん医療モデルICIDHの考え方から
社会モデルICFに考えが移っていったのもあるでしょう。
また、介護保険の開始により、リハビリテーションがいままでよりも
より、福祉の方に接近していったこともあるでしょう。
皆さんは知らなかったかもしれませんが、あきらかに
「医療」と「福祉」には見えない壁があります。
さらには、予防医学を受け持つ「公衆衛生」と「医療」との間にも「壁」があります。
これは僕PT14年間のうちの7年を病院で過ごし、そして現在、介護保険における「訪問リハ」、そして町の事業である「健康推進事業」に
関わるようになって実感した世界です。
本当は、「公衆衛生」「医療」「福祉」が一元化されて、情報を共有し、「絶え間なく」地域の住民をサポートしていく形が理想でしょう。
ところが、たとえば病院ですと、「病院に再来する人」でなければ、
その人の姿を追えないんです。ほんとうは、その前も、その後もフォローできる体制が望ましいと思います。
それは置いておいて、、、、
「君は患者のためではなくセラピスト(術者)自身のためのリハビリをしていないか?」
学生と話したこと。
それは、これからのリハは患者中心で行わなければならないのでは?
という問題提起です。
学生はPTの学問を徹底的に学んでいる最中なので、
「PTの力で患者をよくしてやろう」とします。
で、そこで危険なのは、PTがよくしてやろうという働きかけを
「患者自身が理解していない、もしくは了解していない」
ということです。
これは、病院で勤務している僕もはまってしまっていることのように思います。
古い文献ではリハビリテーションは「復権の医学」といいます。
今では拡大して、「個人の尊厳の医学」といっていいかもしれません(かっこいい言い方をすればですが、)
それを考えたときに、第1前提として、
「患者がしたい」と思っていること
を成し遂げるのが目的になるのではないかということです。
つまりゴールは「本人にとって」なのです。
そこには「私はPTだからこれは提供できない」とか、そういうことではないのだと思います。
いろいろな「患者がしたいと思っていること」があると思います。
それに対して、いかに社会にあるハード、ソフトすべてを利用して達成させるかが我々の仕事なのではないでしょうか?
それの解決のツールとして「PT学」があるのに過ぎない。
意外と、「PT学」はあまりお役に立てないケースも出てくるかもしれません、そこでは、セラピストは豊富な知識を持って、様々なスペシャリストにつなげる、または相談する、という力も要求されるように思います。だからこそまだまだ学び足りないし、自分はだめだなあと失望することしきりです。
ここにちょっと考えて欲しいお話しがあります。
学生時代に尊敬している先生が生徒達に投げかけたお話しです。
これをよんでちょっと考えてください。
ある、若い男の話です。
彼は交通事故で片足を失いました。
ひょっとしたら彼はトップアスリートだったのかもしれません。
彼には専門のリハビリテーション技師と、義肢装具士がつき、
絶望的だった歩行も、
すばらしい医療チームと、厳しいリハビリテーションに励み、
ついに「独歩」可能となりました。
退院が決まり、それが間近となったある日、
かれはその義足をつけ、病院の屋上へと行き
そしてあろう事か「飛び降り自殺」をしてしまったのです。
さて、PTには何か欠けけたところがなかったでしょうか?
という話です
さて、皆さんの感想をお待ちしています。


看護師の目から見るとPTだけの
問題ではないようにも思えます。
PT側のゴールはきっと「義足歩行」。
でも患者様のゴールな何だったのでしょう?
歩けるようになってもアスリートとしては
絶望的だったのかもしれません。
精神的なフォローはどうだったのかと
考えました・・・。
看護の面でも患者さんに良かれと思った
ことも互いにすれ違う事は多々あります。
看護目標も患者様の視点ではなく
看護者の視点で立案されがちですし・・・。
いつになく真面目なコメントをしてしまった
おかんでした。(^^;
人間って、人のことを思うことのできる
すばらしい生き物だけれど、
でも、相当意識しないと
やっぱり自分中心に考えちゃうんだよね、
だからこそ、このような言葉を思い出して
自分にカツを入れてやるんです。
めだかといいます。
私は普段、STさんのお世話になっています。
片足を失った男性が、飛び降り自殺をしてしまった話……。
彼の気持ちが分かるような気がします。
私も手術をし、できる限りのリハビリをして、なんとか退院できそうかなぁ?という頃、やはり彼のような行動に出そうになりました。
病院の中にいる自分は「普通の病人」ですが、外の世界に出れば「障害を持った人」になってしまいます。
帰るべき場所がない……。そう思いました。
私の場合、担当してくださったSTさんが、私の様子がおかしいのに気づき、主治医に連絡をとってくれました。
その後、精神面でのフォローが入り、たくさんの手に支えられながら退院しましたが、それでもなかなか気持ちの切り替えはできません。
身体に障害が残ってしまった場合、これからずっとその体と付き合っていくわけです。
つねにその不自由さは感じているし、無意識のうちに頑張りすぎてしまうこともあります。
PTさん、OTさん、STさんは、先生たちよりずっと患者さんに近い存在だと思います。
患者さん自身が何を望むのか……。
その望みにできるだけ近づけるように、一緒に頑張ってくださる方がいると嬉しいです。
辛いリハビリだからこそ、自分自身をちゃんとみてくれる人と頑張りたいと思いました。
初めてのコメントで長々とスミマセン。
でも、とても考えさせられるお話だったので、思わず書き込みをさせていただきました。
ぱぱんだが、なげかけた言葉に
きちんと答えてくれる人がいるね。
しかも自分とは違う分野からのコメント!
嬉しいね!
今日のぱぱんだは
メンテナンスに行きました。
患者様側からの意見が聞けたのが
本当にイチバン嬉しいことでした。
そして、セラピストへの期待!
そのSTの先生も良い先生なんですねきっと、
ぼくは、PTとして患者さんに出会えたことを、
ほんのきっかけに過ぎないと思っています。
人間は助け合って生きているから、その患者さんにも僕は助けられるんだよなあ、っておもいます。
一期一会、その出逢いを大切にしたいです。