2008年07月03日

まあちんが「脳しんとう!?」

6月29日 6月最後の日曜日、
今年中三のうちのあにいは中学最後のサッカーの公式戦。
家族みんなで応援に行きました。

試合観戦中、「ゴツン」と鈍い音、

生徒玄関前の40センチほどの段差から転げ落ちたようです。

直後に3男坊まあちんが大泣きしました。
痛みには強い子なのに、、、

試合が終わり、事故から1時間たっても泣きやまず、まだ痛がります。

ついには、ぶつけた側の「目が痛い」と言い始めました。

私たち夫婦は多少は医学の知識がありますので、
「これはちょっとヤバイかも、、、」
と思い、すぐに小児科のあるかかりつけの総合病院へ、

あいにく日曜日のこの日は
「救急担当病院に行ってください」と行き先を示されただけ、、

聞くと担当病院は循環器科病院
電話して確認すると、CT装置はない!でも「診られますよ」と言う。

こっちはとにかく「脳」の写真を撮ってほしいんです!!

聞いたら「脳外科を受診してください」とふたたび紹介されたところへ
では、脳外科では、、、

「今、救急患者を受け入れたばかりで、無理だから救急担当病院へ行ってください」

直前にまあちんは嘔吐しはじめました!!

。。。。
。。。。
。。。。

うちの妻は機転を利かし、

「頭を打っているのは明らかだし、今日の救急担当にはCT設備がないといいます。何とかしてください。」

問診してくれた看護婦さんは事情を良く飲み込んでくれて、
今の救急患者のあとすぐ診てくれることになりました。
さらに、

「頭を打ったあと2時間くらいの今が一番重い症状が出やすいから、
あまり心配しないで」と声をかけてくれました。

結果は、、、

CT、頭部X線異常なし!

ドクターの診断は?
「脳震盪だと思います。今日は無理に食べさせないで、様子を見てください。軽傷で良かったですね」って。

その後のまあちんですが、その日一晩は痛がっていたので、
氷枕をして寝せました。

次の日は念のため学校は休ませましたが、お金を支払いに
病院には行ってきましたが、元気にカレーライスを食べて帰ってきました。
良かった。本当に良かった。

さて、「脳震盪」ですが、

頭蓋骨に外力による衝撃が加わって、頭蓋骨内で脳が揺らされたときに起こる症状を言います。
K1なんかで、頭部への打撃で選手がノックダウンするのも
「脳震盪」だと思います。

今回はずっと痛がって泣いていたので、まさか脳震盪起こしているとは思いませんでした。

ふらふらしたり、気を失ったりすると思っていましたから、、、

で、思ったことですが、

患者になる側の人間も「医学」の知識は必要だと思いました。
もし、救急担当病院に掛かってCTも撮れないまま
「外傷無し」で帰ってきて万が一、脳が損傷していたら、、、

ひょっとしたら寝て起きたら「死んでいた」
なんてことがあったかもしれません。
「脳」に損傷があったら意識障害が起こることがあり、
そのまま寝てしまうことだってあります。
そのうちに出血が広がってそのまま目覚めないなんてことが
起こるんです!!

とにかく無事で何よりでした。

皆さん!
「医学」を少しは学びましょう
または、医学の知識のある友人を作りましょう!!?

やはり、

自分の身の最終責任者は

「私自身」です。




posted by ぷーーさん at 23:46| Comment(3) | TrackBack(0) | 医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月08日

どう呼びますか?「患者様」

昨今の医療現場。

。。。患者の視点に立った、
。。。患者想いの、
。。。患者を最優先した、

”医療”が叫ばれまして、
患者を「○○さま」と呼ぶことが多くなりました。

うちの病院も、例に漏れず、
患者の呼称は「○○さま」
です。

外来や、受付の事務員や看護師には違和感はないのだけれど、
ドクターとかセラピストは何か違うような気がするんですよね、

もちろん、医療従事者間で患者の情報のやりとりをするときは
僕は「○○さま」と呼ばせていただいています。

でも、一対一で患者様の治療に当たるときは
(あらかじめ断った上で、)

「○○さん」

と呼ばせていただきます。

もちろん、「○○さま」
のほうが丁寧な言い方です。

でも、患者って先生を頼りにしてくるんです。
それが「様」って呼んでしまうと
逆に硬くなってしまうように感じます。

僕はいつでも患者様の支援者でありたい

それが僕のモットーです。

相手はもちろん私の人生の先輩ばかりです。
だから、相手に尊敬の念を持ってあたります。


でも、自分の術を展開するとき、
それは、やはり「先生」でなければならないと思うんです。
だから、僕は患者様の「お友達でありたい」と願います。

お友達だから、先輩「患者」に学ぶこともあるし、
僕の得意なことは患者に伝えたいと思います。


看護師はどちらかというと患者様の院内生活のお世話をする立場ですね。(読んで字のごとくならば)

ならば「○○様」と呼ぶのがいいのかもしれません。

でも、その一方で、うちの病院なんかは特にそう思うんだけれど、
「その患者にとって何を支援するのが大切なのか?」
てことがぼやけてきているようなときがあるようです。

ときに、医療従事者は医学という概念でもって、
患者を導いてやらなければなりません。

特に「生活習慣病」なんてえのは、
読んで字のごとく「習慣」で病気になったのだから
強い言葉で望まなければならないです。

「様」がつくと、どことなく患者と医療従事者が
意図的に距離を作っているように思います。

患者と一番長い時間接していると思われる看護師ではなく、
一日にたった1時間弱、それも土日は、無しで接している
セラピストに病棟生活の悩みを患者様が打ち明けてくることがあります。

それは愚痴なのかもしれないけれど、
友達のようになれたから話してくれるのかな?
なんて思ってしまいます。

そんなことが、あとでセラピストから看護師に伝わったりすると、
看護師は妙にプライドが傷ついたような態度を取ることがあります。



いや、自分を正当化しているんでは断じてないんです。
ただ、患者側も「もっと近くに来て」って
サイン出しているときもあるのだとしたら、

「○○さま」っていうことばが

「壁」になってやしないかなって思ったんですが、
いいすぎでしょうか?

ちょっと、自分でも整理のつかない頭で書きました、
その関係の方々

声を聞かせてください!


ラベル:病院 患者 看護
posted by ぷーーさん at 23:32| Comment(7) | TrackBack(0) | 医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月26日

利用者が繋ぐ心の盟友(とも)

きのう、訪問看護ステーション所長の送別会があった。

僕はこの町で働いて、丸8年になるが、
所長は札幌から単身で赴任してきて丸6年半。
この春、札幌に戻ることになった。

別れを惜しむ有志が声を掛け合って、今日の送別会が実現した。

看護ステーション、ヘルパーさん、地域包括支援センター
特別養護老人ホーム、保健師さん、病院の事務次長、社会福祉協議会のCMさん、ETC。
そして、PTのぼく、、、

医療、介護、福祉、この町の今現役のスタッフさん達だ。

所長はすごい人だ、
場所さえ知らぬこの町で、たった6年間。
ここにあつまったすべての人たちが涙を流すほどの思い出を
共有している。

そして「すばらしい町だった」と締めくくってくれた。
この中では、僕などは経験も浅く新参者。

所長さんとほぼ同じ時期をここで働いてきたけれど、
地元びいきではない、
「すばらしい人たちだ。」

以前、ブログにも書いた、
「医療・介護・福祉にはまだ壁がある」

でも、「一人の利用者の苦悩」が
それを一つに繋いでいく。

所長はそれを身をもって示してくれた。
法の縛り、資源のなさ、地理的不利益、
それがあっても、「何かできることはないか?」
それをみんなが知恵を出し合い、解決していく。

そこに垣根なんか無かった。

困っている人がいるから、知恵を出し合う。
当然のことなのなけれど、なかなかそれが出来ない。

でも、きのう

「この町で働けて本当に嬉しい、ありがたい」

と、おもった。

金や、地理や、施設が町を作るのではない
「ひと」が町を作るのだ、

登山家が「そこに山があるから山に登る」ように、

「そこに困っている人がいるから、それに全知全霊をかたむける」

そんなひとたちがこの町にはいっぱいいる。

自分も負けないで、頑張っていこうと思う。

「所長イズム」


所長!ありがとう、みんなで守っていきますよ。




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2008年03月07日

地域リハ広域支援センター研修会

3月5日、
釧路地域リハビリテーション広域支援センター主催の研修会が行われた。
テーマは「脳卒中地域連携パス導入」についての内容であった。
今年4月からの診療報酬改定で、従来の大腿骨頸部骨折の地域連携パスが、脳卒中にまで報酬の枠が広げられた、

釧路地域も今年ようやっといくつかの病院から、地域連携パス研究会
発足の声が聞かれはじめた。

もちろん、パスが報酬化されたから目立って動きが出始めたのではあるが、
厚労省の本当のねらいは、共通の評価基準、様式をもつことによって、
急性期から回復期、慢性維持期に至るまで、シームレスに
連携が行われ、ひいては在院日数の短縮、
在宅に復帰できる対象者を増やしていくなどのねらいがあるし、
よくやるパターンで、まずは「報酬」という形で誘導して
形が整ってきたところで、報酬は順次無くしていくというパターンであろう。

昨年12月に釧路地域連携パス研究会が発足し、基調講演の内容を
当方のブログで紹介した。

パスの実施にはパソコンの導入が必須であり、
セキュリティーも考えると安価に作っても急性期の計画病院で、
数百万以上、提携する回復期病院でも100万程度の出費が
必要な計算であった。
これは、システムの開発を外注した場合である。

今回、札幌市での「脳卒中の連携パス」導入の
経緯から内容について解説していただいた。

コンセプトは....

・ゼロから作るには時間も手間もかかりすぎるから、あるものを改変して作っていこう、

・各施設には最低限パソコンはあるだから、マイクロソフトの表計算ソフトエクセルで作ってみよう。

・データーのやりとりは、メールまたはUSBメモリで、セキュリティーにはパスワードをかけることで解決しよう

と、こんな感じで
手稲K病院のPT(母校の先輩です)が延べ1500時間の時間を要し、
EXCELのVBAマクロで、それを作ってしまいました。

現場にいる人間が作ったので、実にわかりやすい。
入力は、それぞれの職種ごとに入力するようになっているので、
仕事が分担でき、特定の一人に作業が集積しない
また対話形式で進んでいくので、
入力に悩むことがない。

データの保守は、一つの病院のみで抱え込むのではなく、
いくつかの病院のDRの組織体が管理することになっているので、
計画病院(急性期病院)が複数:回復期病院が複数
の関係であっても、データーを利用可能である。

すでに、多くの病院が名乗りを上げてすでに利用が始まっているとのこと、

「絶対これがいい」と思いました。

なんせ、導入に当たってコストが全くかからないんです。

セキュリティもパスワードで施設ごとの人間との信頼関係で
扱えばいいわけです。(データを貰ったらネットにつながっているPCからはデータをのこさないようにすればいいです、送信側と受信側の責任で、)

だけれど、思いました。
これだけのソフトですから、著作権で守るべきだと、
このソフトをちょっと改変して商用にされたりしたら
大変ですもの、

といいつつ、早速データを貰う約束をして来ちゃいました。
これが、病院と病院、さらには患者と病院、福祉と病院
の、格差をなくす手段になってくれれば

「言うこと無しですね。」

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2008年02月27日

介護認定審査会

今日は「介護認定審査会」の日でした。
介護認定審査会は
訪問調査で得られた調査結果を
「コンピューターにかけ得られた全国一律の結果」(一次判定)を
「かかりつけ医師の意見書」と比較検討し、
最終的に介護度を決定する(二次判定)
審査会のことです。

構成委員は、保健・医療・福祉の各分野に関する学識経験の均衡に配慮した構成となり、市町村やそのいくつかにまたがる合議体の町が任命します。
構成員が5名以上をもって審査会が構成されます。

介護認定審査会は対象者の介護度を決定する”最後の砦”なのです。

ところで現在は介護度は自立をあわせて8段階となっています。

非該当
要支援1
要支援2
要介護1から要介護5

で下に行くほど重度の介護が必要と判定されます。
また、コンピューターで要介護1相当と判定されたもののみ、
認知症の有無、廃用の程度によって、
予防的視点に立って援助をすることにより、
改善が見込まれると思われるものは「要支援2」の判定、

認知症があって予防給付では効果が見込まれないと思われるもの、
病気の症状が安定せず、予防給付が適切でないとされるもの、
廃用が進んでいて、今後改善が見込まれそうにないもの
は「要介護1」と判定されます。

介護度の違いによる最も大きな差は「区分限度支給額の違い」ですが
そのほかにも、利用できるサービスが介護度によって限定されるものもあります。

利用者にとっては、介護度が変更されたことにより、
今まで受けていたサービスが1ヶ月の限度額を超えてしまったり
ということが起こってしまったりします。

私たちは公正を期すために審査にあがった患者のプライバシーに関わる情報は一切知らされないで審査に当たります。
ですから、本来はほぼ全国一律の審査結果になるであろう想定で
審査はなされているのですが、、、、

この前釧路管内の研修に行って実習してみましたが、
グループによって1〜2段階程度審査結果が異なってきます。

まだまだ一次判定の精度が甘いですし、
最近「動ける認知症」に対する介護度が低めに出てしまう問題点に
対しての対策がなされたのですが、まだまだとってつけたような
判定の域を出ていません。

さらに、ボクが思うのは、「本人の工夫、努力」によって
やっと生活しているものにはなんの恩恵もないこと、

さらには肺気腫などの、継続して運動することが困難な場合、
判定は1度の面接と、医師の意見書によって決まるため、
そのような「疲労度」とか、「無理をしてやっと出来る」
なんてえのは一切評価されないんです。

身体介護と家事援助の割合は介護度によって決まってしまうので、
介護度の低いものにはヘルパーによる身体介護はほとんど利用できないでしょう。

でも、ぎりぎりの少し無理をして生活しているものに対して、
「休息を得る」ための身体介護ってあっていいような気もします。

だから、介護度による支給限度額や、介護区分ごとの利用できるサービスの幅は緩い方がいいのではないかと思うのですが、、、

介護度が高いからと言って目一杯サービスを利用しなくてもいいし、

介護度が低くてもサービスを上限超えて入れたい人も実際にはいます。

たとえば、簡単な例で、
同じ介護度でも、家族との関係が良く、家族も介護に参加でき、
さらに住宅にも恵まれている場合にはサービスは少なくて済みます。

でも、一人暮らしで身よりもなく、住宅も劣悪な環境で生活せざるを得ない対象者には介護度が低かったとしても、もっとサービスが必要な気がしませんか?

その辺は、前にブログ記事にしましたが、
「ケアマネージャーの権限が低い?または評価されていない」
ことにも起因しますね、

何よりも思うのは「個人個人のモラルが大事」だし、
プランの調節をするケアマネージャーの自覚が大切だと思う、
それに、今の国の政治が「国民を疑い過ぎ」
だと思うのは気のせいですか?

もうちょっと裁量を持たせてあげればいいのにっておもうんですよね。

皆さんはどう思いますか?

ラベル:介護保険 介護度
posted by ぷーーさん at 00:23| Comment(2) | TrackBack(0) | 医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月12日

闘う!リハビリ

2月10日と11日の両日
NHKスペシャルで

「闘うリハビリ」

という番組を放送していた。

まず、脳梗塞で倒れた読売巨人軍名誉監督 長嶋茂雄さんの
インタビューだった。

一人で歩けるまでに回復し、言葉もゆっくりながら
相手に明確に伝わる会話が可能であった。
そして今もリハビリを続けているという。
200万人とも言われる脳血管障害の後遺症で悩む人々の、
代表であるかのように、力強く
発症から4年たった今でも戦い続ける強い執念を感じた。

さて、リハビリはまさに「自分との戦い」である。
長島さんは言う

「リハビリは嘘をつかない」

やったらやっただけ成果があるし、さぼったらすぐに
後退を実感する。
1日休んだら元に戻るのに2日かかると、
あの日から4年たった今でも、
そうはっきりと答える長嶋監督に、
長期間のリハビリに対する患者側の期待や熱い想いを感じた。

番組の中で、やっと
脳の可塑性が実証され、認知されてきている印象を得た。

今まで、中枢神経リハを担当してきた
多くのセラピストは、
経験の中で、漠然とそれを信じてきたのである。

確かに失われた脳細胞は二度と復旧されることはない、
では、失われた脳細胞によって機能を失った
四肢機能はもう戻らないのか?
答えは「否」である。

多くのセラピストは、昔から失われた部位に刺激を与えることで、
それが脳を刺激し、残された脳から新しい運動のネットワークが
形成されると信じ、様々な治療法を考案していったのである。

有名な漫画「北斗の拳」では、
通常人間は持っている脳細胞の30%も使っていない、
北斗神拳は脳を100%にまで使用するところに極意があると。

だったら僕らでも可能性があるではないか、
脳の片側を失っても元々両方で30%なのだから、
全部使えば85%まで使える。

中枢疾患の治療法で有名なのは、
ボバース概念(NDT)しかり、ルード法、ボイタ治療、植田法、PNF
など様々である。

いま、ハイテクノロジーの進化によって
脳の活性状態をリアルタイムに視覚化できる装置があるという。

驚きだったのは、麻痺した四肢の関節が動くようになると、
本来そこを動かすために働いていた部位の脳は働かず、
本来は麻痺していない側の四肢を動かす反対側の脳の一部が、
麻痺している側の四肢を動かし出すと言うことである。
そして、それを実現するためには、

「麻痺側への運動刺激が特に大切である」

こともわかってきたのである。

そして、ボクが一番注目したのは、その期間とか時期である。
CI療法といってわざと麻痺していない側の運動を拘束し、
麻痺して不自由にしか、動かせない側の四肢を
あえて積極的に使わせて、
麻痺している側の運動能力を高めようという治療法がある。

短期間集中で行い、発症から数年たった患者でも、
麻痺していた手が動くなど、かなり進歩が見られていた、

近年、病院ではリハビリの実施期間に制限が設けられ、
マスコミにも取り上げられ、大きな騒ぎとなった。

現在も緩和されたとはいえ実際のところはその期限で
リハ終了となるケースがほとんどである。

元に戻るが、

リハビリは

「自分との闘い」

である。

あきらめなかったものには何年たっても進歩の道が残されている。

せめて、”闘う意志”のあるものに対して

門戸を大きく開いて欲しいと思います。

posted by ぷーーさん at 23:35| Comment(5) | TrackBack(3) | 医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月09日

子供が産まれて、、、

1月2日
高校の同期会がありました。

1年生の時の同じクラスだった女の子、

「子供がいるんだけれど、発達が遅れていて、療育センターでリハビリうけているんだ」って。

そのあと、色々話をメールでやりとりしました。

産まれた時から柔らかい感じで、1才4ヶ月でまだ伝い歩きだって、
検査では何も出てこないから、
問題があっても軽い方だと思うって言っていました。

ボクも、学生時代、療育センターで実習をしました。
母子棟というところでは、お母さんもともに子供のリハビリをつきあいます。
乳幼児期のリハビリは、家族も一体となってすすめなければなりません。
彼女にも、ボクが今まで診てきた肢体不自由な子供の例を話しながら

子供の将来の能力を決定するのは、

「いかに、その時期にふさわしい経験を”脳”にさせるかが、大切」

だと思うと話しました。
肢体不自由な子は、巧く体が扱えないので、「したい」思いがあっても巧くできないんです。

だから、子供をじっと観察して、

「こどもの”したい”を助けてやる」

のです。

うちも4人の子供がいますが、同級生のなかにもそんな悩みを抱えている友達が居て、とても心が動かされました。

大学の小児科実習の時、ドクターのムンテラに立ち会うことがありました。
なんとその時は、お母さんに子供の病状を「告知」するときなのでした。


ドクターが「この子の病名は聞いていますか?」と母に話しかけ


母が「聞いていません」というとしばらくの沈黙の後、


「脳性麻痺です」と答えました。


お母さんは、うすうすとはわかっていたのかもしれません。
いや、もうすでによく勉強していたのでしょう。
すでに子供は2才か3才になっていたと思います。
でも、この言葉は重くて、お母さんは泣き出してしまいました。

お母さんは、自分の体を痛めて子供を産むから、
その子に障害や異変があったりすることをとても恐れます。
たとえば、子供が自閉症であった場合、その子の親などは
「自分が周産期のときに悩んでいたからだ」などと自分を責めてしまうことが多いです。
父親以上に自分を責めてしまうのです。

ボクの同級生は、お母さんですから、同じ思いを持ったのかなあ?
発達が少し遅かったので、仕事も辞めたと言っていました。

ぼくも、わかる限りの情報を送りたいと思いました。
彼女は言っていました。

「育児雑誌はあるのだけれど、正常発達が前提だから、参考にならない。発達遅滞の子の育児雑誌はないの?」

もしこの記事を読んでくれて、何か知っていましたら、


「是非!情報をください。!!!」
ラベル:発達 リハビリ
posted by ぷーーさん at 00:06| Comment(11) | TrackBack(19) | 医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月20日

PT学。臨床経験で学ぶこと。

近年、医学界では盛んにEBMが叫ばれています。
EBM(エビデンス=根拠 に基づく医療)
エビデンスにはレベルはあります。
<エビデンスレベルの分類>
Ia システマティックレビュー・メタアナリシス(様々な文献から統合的に判断)
Ib ランダム化比較試験
IIa 非ランダム化比較試験
IIb その他の順実験的研究
III 非実験的記述的研究(比較研究、相関研究、症例対処研究など)
IV 専門会委員会や権威者の意見
<勧告の強さ>
A 行うよう強く勧められる。
B 行うよう勧められる。
C 行うよう勧められるだけの根拠が明確でない
D 行わないことを勧める

その勧告の強さは、
@エビデンスレベル、
Aエビデンスの数と結論のばらつき、
B臨床的有効性の大きさ、
C臨床上の適応性、
D害やコストに対するエビデンス

で決められていきます。
ニッポンの病院の報酬は、診療報酬表によって決められていて、
1点を10円分として、たとえば、湿布処置なら35点(=350円)
訪問リハビリなら一回550点というように決められています。

一つ一つの治療についても出来る行為と出来ない行為が細かく決められています。

そこで、いまEBMが注目されているのです!

ボクからいえば、医療費が経済を圧迫していて、見直しの根拠としてEBMが入ってきたと思っていますのであまり良くは思っていません。

最低限、
<勧告の強さ>で 「C」 以上をとっていないと、
おそらく、その医療行為が報酬として認められないだろうということです。

いぜん、PT界では「腰痛ショック」がありました。
システマティックレビューで、

「急性期腰痛に対する理学療法は根拠に乏しく推奨されない」

と、アメリカから報告されたのです。
これには、本当に打撃を受けたのです。

げんざいは、単なる「腰痛」という区切りで考えるのではなく、
腰痛の症状により、より適切な治療法に細分化して
エビデンスのレベルを高めようと諸氏が奮闘しています。

とにかく、理学療法も

EBMが無いと認められない

時代となってしまいました。このままにしておくとリハビリの報酬は下がっていく一方です。

さて、本題です。(前置き長!)

さんざん、エビデンスの話をしてきたわけですが、
わたしは、理学療法こそまさしく「経験」の要る医学だと思っています。
PTによって、おなじ症例のリハをやっても、結果の現れ方が違うと思っているからです。

ぼくも、臨床経験14年となりました、そろそろ中堅です。
自分が経験によって得られたことをここで整理しようと思いました。

1.まず、一番大きいのは予後の見通しだと思います。
予後は、疾患への理解が第一ですが、その人の性格、環境、時期、プログラムの進め方などで、大きく変わります。経験によってより明確なゴールを打ち出せると思います。社会資源への適応も経験と人的ネットワークの構築が鍵です。

2.次に、より個人個人に変化した対応が出来るようになったことです
その人のタイプに応じて、プログラムも目標も変化させていかなければなりません。さらに、その患者本人だけでなく、家族環境や、転帰先を考えてのプログラムを考えるようになりました。

3.技術面。
ボクの頃はリハビリの本は本当に少なかったです。さらに僕らの指導者などになると、あった本も英語の原文しかなかったという時代、
とにかく患者に触れることだけは必ず心がけました。
忙しくなると、自主トレをお願いすることが多くなりがちですが、
PTは患者に触れてこそだと思います。
今になってやっと、筋肉と筋肉のつながりとか、痛みの取り方とか、何処をどうするのかがやっとわかってきたような感じです。

4.自分自身のコントロール。
初めての頃は、自分自身が緊張していて、治療している側である自分自身の体が痛くなってしまいました。
いまは、自分で自分のペースをコントロールしています。
別に、毎日同じプログラムをしなくたっていいんです。
自分が調子悪いときは、それに併せてプログラムを調整します。

兎に角、

いまは、僕らと同じかそれより上の先生方の努力で、いろいろな治療法、方法論が確立されてきています。文献、本も増えました。
でも、「本当にそうだろうか?」という見方をして欲しいし、
見かけで判断して欲しくないです。
本当にその本通り出来たでしょうか?
本当にその文献にある治療がその対象者に対応できる内容だったでしょうか?

やはり、医学は

「経験に基づく学問」

だと思います。
EBMばかりに気をとられないで、自分の技術も見つめるべきだと思います。
腰痛の事件も、僕らの技術が未熟だったこともあると思いますから、

もちろん、自信のあるところは、「根拠」を残さねばならないとボクは思っています。
 
ラベル:PT 理学療法士
posted by ぷーーさん at 23:07| Comment(15) | TrackBack(11) | 医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月13日

ええっ?町の病院が診療所に?

最近ずっと触れてきた話題です。

うちの病院が診療所になってしまうかもしれない!!

診療所になるということは、

病床がなくなるということです。

まずはこちらを読んでください。

「自治体病院広域化・連携構想(素案)の概要」
(要約)
コンセプト
1.自治体病院は地域医療の確保に取り組んでいるが、医師不足、患者減少、診療報酬改定などにより、経営状況は極めて厳しい。

 ・自治体病院がかかりつけ医療から高度先進医療まですべてになうのではなく、他の医療機関と役割分担をして、相互に連携する。
 ・地域において確保すべきは、医療を中心として、保健福祉、介護サービスと一体となった包括的ケア体制
 ・最も肝要なのは、自治体病院が広域連携し、1次から1.5次の医療を効率的に提供して、地域医療の確保と、病院経営の健全化を両立させること。

2.この構想の位置づけは道から市町村、住民への提案としてとりまとめたものであり、議論が深まり、住民に身近な医療提供体制作りになることを期待するものである。

3.すべての市町村立病院を対象とする。

<本道の現状>
・全道の市町村立病院は94病院(19年4月現在)道内病院全体の17%をしめる。
・平成17年度全道の市町村病院事業の(84事業97病院)のうち赤字事業は61事業で、111億2千6百万円の赤字
・市町村普通会計は歳出、歳入ともの減少傾向で病院への負担は難しくなっている。
・本道では人口あたりの病床数は全国平均を上回っているが、市町村病院の病床利用率は76%程度で病床数を見直すことが必要 
・札幌に医師の約半数が集中し、地域においては少数の医師に過剰な負担がかからない医療提供のあり方を考える必要がある。
・道路整備は進んでいて、市町村間の移動時間は大幅に改善している。一方で車を持たない高齢者などには負担。

広域化に対しては市町村合併推進構想による区域を参考にしながら、医療の問題を考えつつ広域化の検討を行うことなっています。

区域設定の前提としては、
@実際の患者の動きに即した区域設定として、
A地域の核となる病院(おおむね200床以上)が存在していて
B地理的な連続性があり
C従来からの地域のつながりに配慮し、
D極端に広域になる地域への配慮し、
E将来の地域間連携にも配慮して
決めるとなっています。

うちの町から200床以上の中核となる病院で最も近いのは、釧路市です。自家用車でおおよそ1時間の距離。
うちの病院の病床稼働率はここ数年では60パーセントを切っています。このままでは補助金などにペナルティを受ける可能性があります。

ですので、うちの病院は「診療所化」への構想内に入ってしまいました。
しかし、しかしです。

釧路管内でたとえば川湯地域から釧路市内ですと、2時間圏です。
うちの病院は「赤ちゃんが産める」病院なんです。川湯からは1時間以内。
産気づいて、釧路市内まで走れというのでしょうか?

それから、地域連携パスのところで話したように、
平均在院日数はどんどん縮まる傾向にあり、急性期から回復期、慢性期と受け入れていくなかで、回復期をになう施設が少ない現状。
 慢性期に至っては、釧路市内だけの受け入れだけで精一杯という状況下です。
また、療養病床は撤廃の方向性のなか、地方出身の患者がどんどん受け入れ先からはじかれていってしまっています。

このまま地方の病院の病床をなくしてしまっていいのですか?

また、赤字を理由に地方出身者に負担を強いるのですか?

この国の統治者は、自分達の不始末で、世界一の経済大国から世界一の借金国にしたくせに、
自分の故郷を捨て、首都圏に集まって、便利なところで暮らせと言い張る。
首都圏こそもっと深刻な都市の病に浸っているのに、
都市に住まっている人はどんどん気が病んでいるではありませんか?

ずっとその土地に住んでいる人は、たとえ一人になってもそこで暮らしたいと願っていますよ。
自分でぼろぼろの体を何とか、巧く使って自立生活している独居老人はいくらでも居て、介護保険の認定調査を受けても、介護1すらもらえません。
ぎりぎりでやっと生活している人が、最も辛い仕打ちです。
この上、病床すらなくなってしまったら、そのような人たちは何処に行けばいいんでしょうか?

「意地張ってないで首都圏で働く子供と同居しなさい」

っていうんでしょうか?
ボクはそんなことは絶対に許せません。
どうしてその人達はそうまでもしてここに暮らすかわかりますか?
この身一つで今住む土地を切り開いた本人だからです。

ぼくらは、その跡を継げずに、首都圏で「生きるため」働いているけれど、
それを申し訳なく思わなきゃいけないんじゃないかなあ?

せめて、その故郷を「守る」努力はせにゃあならんのではないですか?

もちろん、地域で働く自治体病院のスタッフも改善すべきところがありそうです。
たとえば、接遇の問題。比較的、自治体病院は評判悪いです。
給料体型も、勤務時間も地方公務員の枠を越えてもっとフレキシブルにすべきでしょう。
今年の年末年始は9日間の休診となります(救急は受け入れます)。
ちょっと、民間病院では考えられません。

ぼくたちも、病床稼働数あげるべく頑張りますから、

どうか、

「病床をなくすことは勘弁!」


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2007年12月02日

地域連携パス研究会が発足

地域連携パス研究会

もう、少し前の話になってしまいましたが、
11月21日、夜。
釧路労災病院が呼びかけて
「地域連携パス研究会」の発足記念講演会がありました。
私も、事務次長と一緒に参加しました。

地域連携パスとは、

医療機能の分化、連携の推進を図るのが目的です。
急性期病院が、管理病院となり、回復期、維持期の病院を連携病院として、ネットワーク化を図り、入院日数の短縮や、効率化をねらっています。

詳しいことを言いますと、すでに大腿骨頸部骨折のクリニカルパスは
試験導入されていて、連携パスを導入することでのコストも請求できるようになっています。

一応パスのターゲットになっているのが
4大疾病(大腿骨頸部骨折、脳血管障害、心臓血管障害、糖尿病)
であり、
少なくとも、来年に脳血管障害のほうは算定対象になりそうです。

今回の講義は、コンピューターのシステム設計の会社社長さんからでした。
なんで、そうなのかと言いましたら、

「コンピューターシステムによる一元管理」
が欠かせないからです。

このシステムをセキュリティシステムとパスワード管理で
提携病院すべてで、患者の紹介、画像の共有、ベッドの空き状況などすべてを確認できるようにしようというものです。

たしかに、今までは転院のたびに、検査のし直しがあったり、
ボクからしたらなんと無駄かと思っていました。
個人情報の扱いは難しいですが、その辺がしっかり守られれば
患者さまにもメリットがあります、
医療費もおさええられるかもしれません。

うちの町は、維持期病院として急性期病院への紹介や、
患者様の維持期のフォローをになうのでしょうけれども、

骨折・脳血管障害・心大血管障害
は、まさしくリハビリありきの分野です。

ところが、釧路市内ではまだまだ、回復期リハの施設が整っていません。
重度の脳卒中患者さんなどは、多数のスタッフが関わる集中的なリハが必要ですが、
軽度の麻痺や、骨折の回復期であれば、
うちの町でも提供できるように思っています。

うちも、病床の利用率をあと十数%あげないと、
道の方針もあり、診療所になってしまうかもしれません。

町に、病床がなくなるということは、恐ろしいことです。
行き先が無く、家族共倒れの危険もあります。
この辺のお話しは後日にいたしますが、

連携パスのなかで、回復期リハを担当できれば、
うちの病床ももっと利用してもらえるかなあ?

すこし、夢を見ています。

でも、患者のためですから、

「実現しましょうよ」

って誰に訴えればいいのか????

PS.写真のどこかにボクが写ってますよ。判別不能ですが。

ラベル:病院 地域連携
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2007年11月21日

ことしもノロウイルスが流行ってきた!

きょうは、うちの副院長先生が、

「ノロウイルス感染対策」〜流行期を前にして〜

ということで、講演してくださいました。

改めて、「ノロウイルス」

オハイオ州Norwalk市で確認されたところからNoro virus
最近まで電子顕微鏡の形態よりSRSV(小型球形ウイルス)
と呼ばれていましたが、2002/August国際ウイルス学会で
正式に「Norovirus」となりました。
抗原的、遺伝学的に多様性に富んで、31の型が現在まで知られています。
人の腸管のみで増殖するので培養できず、研究がとても困難

潜伏期は24−48時間で、38度以下の発熱、嘔吐、下痢、腹痛を呈する。
特異的治療法はなく、補液と整腸剤のみ
予備力のない高齢者、新生児などでは、死の転帰となりうる。

<感染経路>
(1)ウイルスが多量に含まれる便や吐物から人の手を介して
(2)人から人への飛沫感染(乾燥に強い!)
(3)調理者が感染していてその調理物を食べた場合
(4)汚染された二枚貝を不十分な加熱で食べた
(5)汚染された井戸水などを飲んだ

<ノロウイルスの消毒法>
@85度以上で1分以上の加熱
A次亜塩素酸ナトリウム(塩素濃度200ppm)

昨年は、うちの病院も感染者が何名か来ました。
幸い、院内感染事例にはなりませんでした。

でも、ノロウイルスは強力で、ウイルスレベルで、数百個程度でも
人体に感染するようです。

で、吐物や糞便は拭いてはいけないそうです。
乾いたところから、空気中に舞い上がって飛沫感染するので、
ブリーチ(次亜塩素酸ナトリウム)でべちゃべちゃにするそうです。
さらに固形分が溶けて無くなるくらいまでブリーチかけるべきだそうで、塩素中毒になるくらい揮発しているときが一番効力を発揮しているそうです。

さて、こわいといっていたのが、

食品を扱う人たち

下痢したまま仕事に来て、感染が広がったりすると、

「個人に多額の賠償が発生する可能性があります」

実際、旭川市内のある病院で、体調不良の調理員が調理したことにより、患者ら161人が感染し、うち2名が死亡という事件があり、
病院は給食業務の委託先に慰謝料、治療費、見舞金、業務中断による損失を含め1575万円の支払いと謝罪広告を求めて提訴しているそうです。

もしこの裁判で、訴えが認められるようだと、委託先の会社は
「社員教育は行っていた」
ということで、この体調不良だった調理員個人を訴える可能性があるというのです。

とにかく、「個人」が訴えられても、私たち庶民が返済できる
額にはなり得ません。

ホントに皆さん

「気をつけましょう」

で、一方
二枚貝のやり玉にあがってしまった
「生牡蠣」
ですが、

まず、牡蠣が感染するのは、人間の吐物や便を取り込むことしかあり得ませんから、主要な感染源ではないのは確か、

全体の10%にも満たない

といわれています。

また85度1分間以上で死滅しますから

加熱した牡蠣は絶対大丈夫

皆さん!

厚岸のカキ

食べてね。

posted by ぷーーさん at 00:52| Comment(6) | TrackBack(1) | 医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月18日

研修会講師デビュー!

土曜日に釧路市内のPT対象に講演をしてきました。
今まで、町内のおじいちゃんおばあちゃんに
30分程度のお話しは良くするのですが、
今回は実技込みのなんと

3時間

にも及ぶ内容です。

内容は

「慢性維持期の徒手療法について」

書き始めは
理学療法士はマッサージ師ではありません!
てかんじで、、、、

改めて
本の引用ですが、それぞれの治療者が何を元に治療するか考えましょう。

医者(西洋医学の)
薬・手術・患者を提携専門医へ委託すること。
西洋医学では筋を専門に扱う分野が存在していない。
ドクターは症状に応じて薬を処方するか、理学療法士を紹介する

オステオパシー療法
骨や関節にマニュピレーションを施して健康を回復させる。

カイロプラクティック
特に脊椎関節の矯正・治療を重視。
痛みやその他の健康問題は、脊椎関節のサブラクセーション=ミスアライメントが原因であるとする。

理学療法
筋肉と関節の機能回復の手段として、体操や運動を活用する。筋肉へは物理刺激(水治療、超音波、電気刺激etc)を用いるが
運動が主眼に置かれる。また、比較的術後のリハや、先天奇形などの比較的深刻なケースを扱うことが多い。

ということで、基本的にあまり理学療法士は徒手療法をしない場合が多いです。

ところが、私の受け持ちは慢性期の方が多いので、
病気を引きずってうんと悪化してしまった方が多く、
運動すること自体が困難な場合が多いんです。

そこで、徒手療法です。
理学療法士もマニュピレーションといった手技や、
マッサージを応用した治療は行います。

ところが、忙しい現場では、なかなか患者にふれて1時間以上かかる
徒手治療を行うことは困難が伴います。

最近は、リハビリの日数期限が定められたり、
在院日数が極端に短くなってしまっているので、
特に新人のPTになればなるほど、
患者の体にあまり触れていません。

部分をよく知らないと、全体的に見ることが出来ません。
このことを本当に危惧しています。

今回は、PT同士ですが、体を触診しあって、
実際に治療することが出来たので、
まあ、よしと思っています。
またこれから、自分のしていることを
もっと伝えていこうと思いました。

自分のしてることみんなに見せないと、
自分にもフィードバックされない(悪いところも含めて)。
持っているものを出し合って、よりよい治療をすることが
大切だと思います。(出し惜しみはいけませんよ!!!!!)


体の痛みすら取れない理学療法士では、
開業している針灸マッサージの先生に

完全に負けてますよ!
posted by ぷーーさん at 21:26| Comment(7) | TrackBack(0) | 医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月09日

運転免許を更新しないと言うこと。

よく、病気の後遺症を抱えたりすると
運転をやめる、やめないのはなしを聞きます。

特に患者が男性で、「やめろ」と勧めるのは
その「妻」

でも、ちょっと待って欲しい。
男性が車の運転を取り上げられるというのは
大変なことです。

そこの奥さん?
むかし、旦那の運転する助手席に乗ってドライブ。
かっこいいって思ったでしょう?

男の子にとって、車の運転って
ステイタスなのかもしれません。(みんなではないですが)

だから、ただ危ないからと黙って、車を売ったりしないでください。
免許の更新を勝手に流したりしないで欲しい。

危ないのなら、隣でつきあってくれませんか?
自分の町中だけ、妻がナビ
という条件ではどうですか?

やめるにしても、よくよく話し合って決めて欲しいです。

男はとかく弱いです。
そんなことでさえきっかけになって、
閉じこもりになってしまったり、
精神不安定になったり、
認知症が進んだり、、、

病気と、車の運転

これも難しい問題だなと思います。

posted by ぷーーさん at 23:47| Comment(8) | TrackBack(0) | 医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月05日

理学療法士が出来ることと出来ないこと?

きょう、1名のリハ患者さんを終了にして貰った。
まだ、発症から2ヶ月ほどの片麻痺の患者さんだ。

おそらく全失語で、コミュニケーションはとれない。
自発言語もずっと見ていたが、見られなかった。
常に右下方を見ていてすぐ右側のものにつかまってしまう。
こちらの指示はいっこうに伝わらず、
でも、じっとしてはいない。つかまって引っ張ったり、
車いすから抑制されたまま立ち上がろうとしたり、、、

一度担当したとき、一緒に廊下を歩くくらいのレベルであった。
DRに相談したら、終了となった。

ちょっとだけ、ジレンマ。
でも、PTは身体能力を向上させることが最初にある、
だから、この状態ではとてもとても、、、、


以前、練炭自殺未遂でCO2中毒の後遺症患者を診た。
CO2中毒の二次障害で人格の崩壊がおき、
さらに、廃用によりADLが全介助であった。

うちのPT2名で、全介助から立位訓練から初めて、
独歩可能なところまで、回復した。
当初JCS1桁レベルの意識障害もあり、発話も少なかったが、
日常会話を話す程度にまで回復した。(記銘力はほとんどなかったが、)

今回、退院後半年ほど経ってそのケースが、障害者自立支援法の
区分認定審査会にあがってきた(匿名だけれどHISTORYでわかってしまった)
性的行動の問題、記銘力低下などの問題で現在精神科病棟に入院中であるという。
僕たちが、身体能力を向上させてしまったが故に、
十分な認定区分を得ることが出来ず、施設入所が難しいという。

また、ジレンマに陥ってしまった。

果たして身体能力を向上させることが、役に立ったのか。

でも、うちのPT2人でこう話し合った。

全介助から、トイレ動作自立になっただけでも意味はあった。
たしかに、精神機能の向上も目指して、
身体機能向上を目指し、中途半端に終わってしまったのかもしれない、
でも、意味はあったのだと。

ぼくは、PTになってすぐ、精神科の病院に勤めました。
今でもその経験は自分に役立っていて、

どんな患者が来ても、コミュニケーションの面でおそれることはなくなりました。

精神科の患者様こそ、純粋で素直な人たちであることも知りました。

精神科でも、一生懸命身体機能に働きかけて、
患者の行動能力を向上させていきました。
その時決まって、

「精神症状の悪化」

という事態をまねきました。

未だに答えはありません。
未だにジレンマなのです。

でも、僕たちには精神症状から働きかけるツールは無いんです。

もちろんそれを無視して取り組んでいるわけではないです。

ただ、とっかかりが身体機能の向上からなのです。
また、精神的なアプローチのノウハウも少ないかもしれません。

はっきり言って難しいです。

posted by ぷーーさん at 19:41| Comment(8) | TrackBack(0) | 医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月17日

ケア・マネージャーといふ仕事。

介護支援専門員(ケアマネージャー)

ケアマネージャー(通称ケアマネ)をご存じですか?
介護保険施行と同時に制定された介護保険の
サービス調整を行う重要な仕事をしている方々です。

任命は都道府県が行うのですが、
医師、看護師、薬剤師、PT、OT、ST、社会福祉士、介護福祉士、鍼、灸師、等々の法定資格を持ち5年以上の実務経験があるものや、資格を所持していなくても所定の福祉施設等で介護等に10年以上従事したものに受験資格が与えられます。

ぼくも、平成11年に第2回目の試験の時に受験しました。
勉強も結構大変、、、、(ずっと実務していないので、研修受けないと今はケアマネの実務はできません。)

現在の合格率は25%程度ととっても低くなってきています。
(難しくなってしまったのもある、、、)

試験が大変なのもそうなんだけど、、、、

大変な仕事です。

居宅介護支援事業所や、施設に所属して、介護認定受けた方の
アセスメントを行ってケアプランを作成し、サービスの調整をし、
介護保険の給付管理をする仕事なのですが、

僕も、訪問リハは介護保険受給者が対象なので、いつもケアマネさんにお世話になっています。

じつは、僕もケアマネの勉強をしているとき、教科書には、
家族間の調整もしなければいけないとか、利用者本位のサービスにするとか、包括的に調整するとか、沢山の建前があって、
はっきり言って「いや」になってしまうほどです。

あのときまだ20代の「若造」には、とってもできないなあ
と思った次第です。


我が町でも10数名のケアマネが日夜仕事されています。
場合によっては夜中に出なければならないことも、、、
この前も利用者が倒れて救急車で運ばれたときにも、うちの病院に来てました。

家族間の調整ってどうやるんだろう?
同様のサービスを提供している業者がたくさんある時はどう調整するんだろう?
逆に、必要なサービスが提供できないときはどうするんだろう。
対象者に入り込めば入り込むほど、悩みがふくらんでしまいます。

この前は、歩行不能になった対象者がどうしても歩行したいって言いって、
訪問リハと、ヘルパーさんにも入って貰ってケアマネさんとプログラム考えてリハビリしてみたんだけど、ヘルパーさんと合わなかったり
本人が指導以外のリハをしすぎて良くならなかったりと
大変苦労しました。
担当ケアマネさんとはーっとため息、、

で、思うんです。
ケアマネにはもっと強い権限を望みます。
それだけの仕事ですもの。

介護認定には医師の意見書も重要な意味を持ちますが、
実は身体状況のデータが古かったりして、あまり役に立ちません。

やっぱり、担当ケアマネに情報をやりとりするのがイチバンいいみたい。対象者から出たちょっとした愚痴、不満、できるだけ
ケアマネさんと共有するようにしています。

ところで、僕は

「ケアマネはしたくないです」

って、ゴメンネ。


posted by ぷーーさん at 23:40| Comment(8) | TrackBack(1) | 医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月05日

在宅支援って....

セラピストの皆さん、そのほか医療従事者の皆さん、、、

病院で7年、地域、在宅を支援し始めて7年半、、、

病院で働くすべてがそうとは言いません、
でも、自分の実感圏で、当てはまる人もいるかと思って、、

「どうか、病院にいる患者様の姿が、在宅でも同じと考えないでください。」

いま、自分は学校で学んだ「PT」ではなくなってしまったと思っています。
そして、実際、自分が何者かは実はわからなくなってしまいました。

PTはじめ、身障者のリハビリは1対1で行われることが鉄則、
で、目指しているのはADLの向上であったり、
究極に言えば、「在宅に戻るための支援」

だから、患者を目の前にして、問題点を考え、ゴールをたて、アプローチしていく。
それは、病院であれば、セラピストだけではなく、すべてのスタッフがそれを目指していると言っていいと思う。

在宅支援を初めて7年半、、、、

最近、それだけではいけなかったと思い始めた。
まず、病院での患者の姿は「家にいるときの姿ではない」

ときに、セラピストと、患者はけんかが少ない。
良好な関係を保てている場合が多い。
それは大変ありがたいことであり、嬉しいことであるし、
在宅でも、そうである場合が多い。

もちろん医療や介護は「本人の意志」が最大尊重されるものである。

がしかし、病院でリハビリしているときの患者は

「虚像」FAKE

である場合が多い。

在宅で、同じ人間を何年も見てきました。

そこには、介護に追われる家族の姿と、そして変化していく(それは機能低下していくという場合が多い)患者の姿がある。

今日も、担当ケアマネージャーと担当患者の精神状態と、それに振り回されてとても疲れている介護者の姿を話し合った。

答えは見いだせなかった。残ったのは「大変な状況だ」と言うこと。

病院にいるときの僕は、
動けるようになっていく患者の変化を素直に喜び、
「良くなったね」と簡単な自主トレプログラムを入れて送りだすだけ、

そこに、これから障害と向き合う患者の思いや、それに振り回される
家族の姿はなかった。

今思う、

本当にあのときそれで良かったのだろうか?

いま、ぼくは、患者自身の悩み、未来への不安、家族の苦しみ、実社会の厳しさに、本腰を入れて向き合おうとしている。

涙が出るような話を聞かされる。どうにもならない思いにも駆られる。
でも、これと向き合っていかなければならない。

でも、こうして、ブログを立ち上げながら、自分の考えを整理して、
また、幾ばくかの仲間もできた。
病院の外へ外へと、相談する相手ができた。

まだまだだけれど、

「自分が地域の歯車の一部」

となろうとしていることがわかった、
歯車はその前にも、後ろにも歯車がなければ全く機能しないし、
どれか一つ壊れていても機能しない。

いままでは、患者のほんの一部の歯車にかみ合っていただけ、

これからもっともっと大きなものの歯車の一部になっていかなければならないと思う。
そうすることで、自分もより大きなものの歯車の一部として、
「動かされている」
ことを知るのだろう。

難しくて、もっともっと苦しいことが出てくるのだけれど、
そうやって自分をいろんな歯車が成長させてくれるのだと思う。

また、明日から新たなステップを踏もう!
posted by ぷーーさん at 20:00| Comment(6) | TrackBack(0) | 医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月30日

地域リハ研修会シンポジストしました。

9月29日(土)、釧路市内で地域リハの研修会がありました。
なんと、そこでシンポジストをしてしまいましたぁ

自分から「パワーポイントで発表します。」と宣言しつつも
なんとソフトのインストールから始める体たらく。
いつものごとくのぎりぎりの資料作成。

今回のシンポジストは歯科医、MSW、Nrs、PTと様々な
立場からの支援状況の発表で
テーマは「在宅を支えるえっとワーク作りを目指して」
企画段階から関わりましたがなんとまとまりにくいテーマか、、

僕は、ここの開設依頼からずっと関わっている患者様を紹介しました。(関わりはもう7年になろうとしています。)
病院リハビリに日数制限がつくようになって早1年半。

でも、7年間でどんどん環境と体が変化する中でハードとソフト両面にして対応していった内容を報告しました。(時代に逆らうかのように)

けっこうコーディネータや会場からも質問があり、関心の高さが伺えました。

釧路市内の先輩OTからのしつもんが印象に残ったので、、、

急性期の病院に20年近く勤務しているけれど、どんどん患者の在院日数は短くなっている。この状況下で7年も関わって変化を追っていった貴方がうらやましい。自分も含めて急性期病院でリハして退院していった患者さんがその後どうなっていくのかを知りたい。自分のリハビリが適切だったのかどうかフィードバックできないか?
という内容でした。

確かに僕は本当によい経験をさせて貰っています。急性期の病院にもいたので、今、身をもってその後に患者がどうなっていくかを見せられるのです。

質問で印象に残ったのは、
OTの先生は子持ちの主婦なんですが、、、

患者様の退院の時、退院時の状況で、「今」介護力は大丈夫、なんて判断してしまって送り出しているけれど、今回発表したようなケースだと、日中いてみてくれていた孫が、中高生になり帰りが遅くなる。
主介護者も大きくなる子供のために働かざるを得なくなる。
(高校以上の子供はホントに金がかかるんです。)
そうやって環境もドンドン変わっていくんだって実感されたそうなんです。(自分もその立場にあるから余計にそうなんだと思います。)

そんなことがなかなか急性期病院にいるだけでは見えないというんです。ましてや在院日数がどんどん短くなる今の病院しか見ていない
新人のセラピストがどんどん入ってくる。
見えない人は増える一方。

一言言われました。
「貴方が伝えてあげて」




....はい、わかりました。
いつの間にか自分はとてもいい経験をさせて貰っていたんだって
気づきました。
そして、今、自分は伝える立場に向かっているんだって「気づき」ました。

後半は、連携がうまくいっているパターンを検証しました。
なんとなく「見えました」

まず、小さなとっかかりからでも出発できると言うこと。
「口腔ケア」からでも歯科医、STの関わりから、施設、ヘルパーさん
家族とどんどんネットワークは広がります。(その実例を見せていただきました)

それから、フットワークは軽く。
仕事は「5時まで」では絶対うまくいきません。
その枠を自分で「取っ払え!」
考えるより動くやつがイチバン使える!のです。

会議だけでなく、飲食もともにしてつきあおう!
みんなどの専門職がどんな得意があるか知らない、
とにかくその人と実際にあってそして理解し合うのが大切。

いま、こんなブログを通しても相談できる仲間ができつつあります。
ネットワーク、どんなところからでも広げられそうです。

やっぱり人間を見るのだから

人間と人間のつきあいが大切なんです。
ラベル:地域リハ PT OT
posted by ぷーーさん at 23:46| Comment(7) | TrackBack(0) | 医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月19日

医療職の落とし穴

きょう、ウチに来ているPTの実習生と話した内容です。

「君は患者のためではなくセラピスト(術者)自身のためのリハビリをしていないか?」

これは、私も含め多くの人が行っている、「過ち」です。
たしかに、リハビリテーションの発展史の中で、学問的に追究されたのは、

「身体能力をいかに正常に近づけるか」

でした。
でも、現在のPTの考えは変わりつつあります。
それにはもちろん医療モデルICIDHの考え方から
社会モデルICFに考えが移っていったのもあるでしょう。
また、介護保険の開始により、リハビリテーションがいままでよりも
より、福祉の方に接近していったこともあるでしょう。

皆さんは知らなかったかもしれませんが、あきらかに
「医療」と「福祉」には見えない壁があります。
さらには、予防医学を受け持つ「公衆衛生」と「医療」との間にも「壁」があります。

これは僕PT14年間のうちの7年を病院で過ごし、そして現在、介護保険における「訪問リハ」、そして町の事業である「健康推進事業」に
関わるようになって実感した世界です。

本当は、「公衆衛生」「医療」「福祉」が一元化されて、情報を共有し、「絶え間なく」地域の住民をサポートしていく形が理想でしょう。

ところが、たとえば病院ですと、「病院に再来する人」でなければ、
その人の姿を追えないんです。ほんとうは、その前も、その後もフォローできる体制が望ましいと思います。

それは置いておいて、、、、

「君は患者のためではなくセラピスト(術者)自身のためのリハビリをしていないか?」

学生と話したこと。
それは、これからのリハは患者中心で行わなければならないのでは?

という問題提起です。

学生はPTの学問を徹底的に学んでいる最中なので、
「PTの力で患者をよくしてやろう」とします。

で、そこで危険なのは、PTがよくしてやろうという働きかけを
患者自身が理解していない、もしくは了解していない」
ということです。

これは、病院で勤務している僕もはまってしまっていることのように思います。

古い文献ではリハビリテーションは「復権の医学」といいます。
今では拡大して、「個人の尊厳の医学」といっていいかもしれません(かっこいい言い方をすればですが、)

それを考えたときに、第1前提として、
「患者がしたい」と思っていること
を成し遂げるのが目的になるのではないかということです。

つまりゴールは「本人にとって」なのです。
そこには「私はPTだからこれは提供できない」とか、そういうことではないのだと思います。

いろいろな「患者がしたいと思っていること」があると思います。
それに対して、いかに社会にあるハード、ソフトすべてを利用して達成させるかが我々の仕事なのではないでしょうか?
それの解決のツールとして「PT学」があるのに過ぎない。

意外と、「PT学」はあまりお役に立てないケースも出てくるかもしれません、そこでは、セラピストは豊富な知識を持って、様々なスペシャリストにつなげる、または相談する、という力も要求されるように思います。だからこそまだまだ学び足りないし、自分はだめだなあと失望することしきりです。

ここにちょっと考えて欲しいお話しがあります。
学生時代に尊敬している先生が生徒達に投げかけたお話しです。
これをよんでちょっと考えてください。

ある、若い男の話です。
彼は交通事故で片足を失いました。
ひょっとしたら彼はトップアスリートだったのかもしれません。
彼には専門のリハビリテーション技師と、義肢装具士がつき、
絶望的だった歩行も、
すばらしい医療チームと、厳しいリハビリテーションに励み、
ついに「独歩」可能となりました。

退院が決まり、それが間近となったある日、
かれはその義足をつけ、病院の屋上へと行き
そしてあろう事か「飛び降り自殺」をしてしまったのです。

さて、PTには何か欠けけたところがなかったでしょうか?
という話です


さて、皆さんの感想をお待ちしています。








posted by ぷーーさん at 20:43| Comment(5) | TrackBack(2) | 医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月08日

訪問リハビリ

故郷に帰ってきて7年半が過ぎました。
それと同時に訪問リハビリテーションも始めました。

いままで、いろんなフェイズにある患者さんを病院で見てきたから、
患者さんの状態はつかめると思っていました。

ひとつだけ、病院と全く違うことが、、、
それは、

土俵が違う、、、

サッカーでは、アウェーとホームがありますが、
ホームが絶対有利ですよね、訪問リハはそれ以上です。

なれぬうちは、本当に困りましたし、疲れました。
道具もないし、、患者のペースで仕事しなくてはならないし。

そんなぁこんなで7年やってしまいました。
(病院にいたときよりも長くなってしまいました。)

訪問をはじめて考えが決定的に変わったことがあります。

それは、治療が終わったらさよならではないことです。
みんなずっと生きていますし、それに高齢者がほとんどですから(介護保険下でのリハですから)その対象者をホントに長い目で見ていくんです。どんどん変わっていきます。

うちは、町内唯一の病院ですから、町民はうちの病院が最後にかかる病院ですし、今後のことも考えなくてはならない。
廊下一つながりで、町の担当ケアマネージャーが居ますので、
何回も相談をしあいます。

入院リハ、外来リハ、訪問リハをかりに終了しても、
サポートは続きます。
「あの人どうしてるかな」近所だったら見に行ってみたり、、、
病院に来ているお友達の情報も貴重な「情報源」。

町の特別養護老人ホームも近いですし、訪問の対象者が
ショートステイやデイサービスで利用していますので、そこにも顔を出してみたり、、

こうしてみると、リハですべきことが広い目で見られるようになってきました。そして後悔もあります。

もっと急性期、回復期に生活に目を向けてリハをすればよかった。

今はどんどん在院日数が減っていく時代。急性期で入院20日を切る時代です。どんどん生活に目を向けたリハがやりづらくなっていく。

いまこそ、一人の対象者ごとの人的ネットーワークを強くしなければならないと思うんです。

小さな町だからこそいいめんもあります。
「”自分自身”が患者と同じコミュニティの一人」なんです。
だから、お友達がどんどん増えていきます。
患者さんは人生では先輩ばかりです。
子供を連れっていったりして、(仕事中はだめだけど)
優しい言葉をかけて貰ったりするとホットします。

リハで、よく新しい趣味をリハビリ含めて指導したりもするんだけれど。一番、その人が「人間らしく生きていく」という面では、
お友達のところに差し入れ持って行ったり、
野菜づくりをしたり、
その人がしたいことは病気になる前とあまり変わらない。
それを、みんな一人一人が知恵を出し合ってこれからも続けられるように支援しましょう、というのが
僕の考える、

「訪問リハビリ」

りはびりの技術だけ磨いてもダメなんですよ。
あーー奥が深い。
posted by ぷーーさん at 14:54| Comment(2) | TrackBack(1) | 医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月03日

PT歴14年目!

平成5年4月に免許を取り、今年で14年目!
10年一昔、といいますが、
10年超えてやっと一人前になった気がします。
この業界、3年経験すると、スーパーバイザー資格を得て
後輩を指導する資格を得ます。
もう4年目から一人前になった扱いを受けてしまうんです。
それは、置いておいてと。

僕の目指すPT像について

ぼくは、学生の頃言われた一言が未だに自分を引っ張っていると思います。
それは、「患者はほとんどが僕たちの人生の先輩達、患者からみたら我々は若造、”先生”と呼ばれているがたいしたことぁしてないぞ」と

ずーっと胸に秘めて仕事してきました。
いつの間にか自分にできたPT像は、

自分は何かの縁で患者様と知り合った、一期一会である、
いま、体のことで困っている知り合いがここに居て、助けを求めている
自分は体のことは専門を少し学んだ、
だから、自分の知識を総動員して、この人の支援者となろう。
自分の得意なことでなにか助けられることを提供しよう


ということです。

ひとはみんな支え合って生きています、みんながそれぞれの得意技があって、それを提供しあって生きています。

そして、与えようとしたときその何倍も相手から与えられることを実感します。
それを喜びとして生きています。
それが、この仕事の「やりがい」です。

PTという学問にこだわりはありません、自分が納得したこと、自信のあること、伝えたいなと思うこと、すべてを患者にぶつけます。
けんかになることもあります。でも、「よくしてあげたい」という思いが自分の中に確固としてあるならぶつかります。

そこで、永遠に学ばなければならないと思うようになりました。そして今、今まで知ったことは、できるだけ多くの人に伝えなければならない、とも思いました。

ことしは、そんなきっかけの年になりました、2度ほど、大きな会場で、発表したり、講師をしたりする機会にも恵まれました。
これから準備なんですが、
僕は昔っからギリギリタイプでして、
(自由研究を最終日に徹夜で仕上げたりする)
まだ、頭の中に構想しかありません。

人として、成長しなければならないなあと思います。
まだまだ、お子ちゃまに思えてしまうのでした。
いま、患者様に「人生学」を勉強中です、



posted by ぷーーさん at 19:49| Comment(1) | TrackBack(0) | 医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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